第52代天皇、嵯峨天皇を解説〜薬子の変、弘仁文化、三筆

はじめに

今回は第52代天皇、嵯峨天皇を解説します。

嵯峨天皇とは?

上皇との対立、薬子の変

第51代、平城天皇(へいぜいてんのう)が809年に上皇となり嵯峨天皇に譲位します。

嵯峨天皇

ただ、藤原薬子やその兄・仲成に煽られて復位を画策するようになります。

平城が平城京遷都令を出しますが嵯峨天皇は拒否。これをきっかけに平城が挙兵します。これが薬子の変です。

しかし、坂上田村麻呂が出兵してこれを鎮圧。平城は出家し、仲成は射殺、薬子は毒を仰いで自害するという結果となりました。

坂上田村麻呂

花開く弘仁文化

それ以後、嵯峨天皇の時代の政局は安定します。皇室の儀礼や律令の補足・修正が行われました。

文化面でも、華やかな弘仁文化が花開きます。漢詩文や中国の歴史を学ぶ学問、書道が発展します。

室生寺五重塔

空海・橘逸勢ともに三筆

嵯峨天皇自身も弘法大師・空海や橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに三筆と呼ばれる書の名手となりました。

空海

参考文献

この記事は『ビジュアル百科 写真と図解でわかる!天皇〈125代〉の歴史』(山本博文監修)を参考にしています。

歴史に詳しくなくても気軽に読める本です。天皇に興味ある方は是非。