京都建仁寺、俵屋宗達の『風神雷神図屏風』を解説~光琳、抱一への系譜

はじめに

今回は京都建仁寺にある俵屋宗達の『風神雷神図屏風』を解説していきます。

建仁寺

『風神雷神図屏風』

風神雷神とは?

皆様、「風神雷神」という言葉は聞いたことがおありかと思います。また、今回ご紹介する『風神雷神図屏風』も見たことがおありの方が多いのではないでしょうか?

しかし、「そもそも風神雷神とは何か?」と聞かれたときにスラスラ答えることが出来る人は少ないのではないかと思います。

京都三十三間堂にある雷神
太鼓がトレードマーク
京都三十三間堂にある風神像

風神と雷神とは仏教の世界における千手観音菩薩のガードマン(眷属)です。菩薩やら如来やら仏教用語に抵抗がある人は以下の記事も参照してください↓

『風神雷神図屏風』解説

描かれているのは風神と雷神。

『風神雷神図屏風』(俵屋宗達、17世紀前半、京都建仁寺)
現在建仁寺にあるのはレプリカ。実物は京都国立博物館に所蔵。どちらが風神でどちらが雷神か分かりますか?ヒントは「太鼓」です(答えは左が雷神。実は手に持っているのは撥です)

この屏風は二層一曲(にそういっきょく)という左右それぞれが二つに折れる一組の屏風で、この形式は宗達以前には見られないものです。この屏風の両端に風神と雷神を配すことで、屏風を折って立てたときに風神と雷神が向き合っている感じが強まるという効果があります(狩野永徳の『唐獅子図屏風』もそうですが、屏風というのは広げられた形の画像を見た時と、折られた実物を見たときとでは大分印象が変わってくるので、是非実物も見てみたいものです)。

また、雷神(左)の背負っている太鼓の一部や、風神(右)のたなびく天衣の紐が画面の端で切れて描かれていることで画面の外にも空間が広がっているように感じられるという効果があります

千手観音菩薩の眷属(ガードマン)として位置づけられている風神雷神ですが、宗達の『風神雷神図屏風』ではどこかユーモラスに描かれており、緊迫感も感じられません(この絵でもまだ威厳を保っている方で光琳、抱一の絵になるともっとコミカルになってしまいます)。北野天神絵巻に描かれている風神と雷神をみると、その柔らかさが一層際立つのではないでしょうか。

北野天神絵巻の雷神、メトロポリタン美術館
従来のイメージ通り怒りの表情で描かれています
北野天神絵巻の風神、メトロポリタンン美術館

三枚の『風神雷神図屏風』

『風神雷神図屏風』は俵屋宗達の没後、この絵に私淑した尾形光琳によって模写され、その絵を光琳の没後に酒井抱一が模写しました。雷神の太鼓が宗達のものよりも画面中に収まっていたりなど、間違い探しの様に三枚の絵を比較してみるのも面白いかもしれません。皆さんはどの絵が一番好みですか?(ちなみに私はこの二枚よりも威厳を感じる宗達の絵が好きです)

『風神雷神図屏風』(尾形光琳、17世紀、東京国立博物館)
他の二枚に比べると雲がどす黒く不気味な雰囲気を醸し出しています。
『風神雷神図屏風』(酒井抱一、19世紀、出光美術館)
風神と雷神の表情から厳しさが薄まり、漫画の一コマのようになっていく気がします。

参考文献

この記事は『日本美術101鑑賞ガイドブック』(神林恒道 新関伸也編)を参考にしています。

日本美術に興味を持って方は気軽に読んでみて下さい。