女帝、推古天皇を解説〜聖徳太子と蘇我馬子との三頭政治

はじめに

今回は日本初の女帝、推古天皇を解説していきます!

推古天皇

日本初の女帝誕生

崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺され、次の天皇候補として白羽の矢が立ったのが推古天皇。

次期天皇ともくされた厩戸王、聖徳太子が擁立されるまでの橋渡し役であったとも言われていますが、ここに日本初の女帝が誕生しました。在位年は592〜628年とされています。

摂政、厩戸王(聖徳太子)と蘇我馬子

推古天皇は容姿端麗、頭脳明晰だったとされていますが、国政は摂政となった甥の厩戸王(聖徳太子)にすべて任されていたと『日本書紀』には記されています。

聖徳太子立像

さらに蘇我馬子が推古天皇の叔父だったため、政治は厩戸王と蘇我馬子が協力し合って推し進めたと見るのが一般的です。

ただ、そうは言うものの蘇我氏の全盛期の中、馬子が天皇家の直轄領の支配権を願い出た際にはその要求をはっきりと断るなど、バランスを保つにはいなくてはならない存在だったことも確かです。

この三人の元で実行されたこととしては、「桓武位十二階」や「十七条憲法」の制定、遣隋使の派遣、『天皇記』・『国記』といった国史の編纂、四天王寺や法隆寺などの建立が知られています。

四天王寺
法隆寺

参考文献

この記事は『ビジュアル百科 写真と図解でわかる!天皇〈125代〉の歴史』(山本博文監修)を参考にしています。

歴史に詳しくなくても気軽に読める本です。天皇に興味ある方は是非。