はじめに
今回はニューヨーク近代美術館所蔵、ピカソの『アヴィニョンの娘たち』について解説していきます。
ピカソとは?
ピカソとは?
パブロ・ピカソは、スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家です。
ジョルジュ・ブラックとともに、キュビスムの創始者として知られています。
キュビズムとは?
キュビスムは、20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始され、多くの追随者を生んだ現代美術の大きな動向です。
それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収めていることが特徴です。
ブラックとは?
ジョルジュ・ブラック(Georges Braque, 1882〜1963)は、フランスの画家です。
ピカソよりも画家としてのキャリアでは劣りますが、絵画における発明の才はピカソも一目を置いていました。第一次世界大戦を挟んで画風は一変しますが、生涯に渡って絵を書き続けた画家です。
仲間から「白い黒人」と描写されるほど体格が良く、また好んでスーツを着るハンサムでした。
ピカソのフルネーム
ピカソのフルネームは、
パブロ・ディエーゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ。
です。
画風の変遷
青の時代、バラの時代、キュビズム、新古典主義、シュルレアリスムと様々な表現技法を用いたことで有名です。
詳しい解説は作品ごとにするとして、ここでは大まかなイメージを掴んで欲しいと思います。
青の時代(1901~04)
バラの時代(1904~06)
アフリカ彫刻(1907~09)
分析的キュビズム(1909~12)
綜合的キュビズム(1912~18)
新古典主義(1918~25)
シュルレアリスム(1925~36)
ゲルニカ(1937)
有名作品
『アヴィニョンの娘たち』
あらゆる作品がインパクトを持っているピカソですが、その中でも特に有名なのは『アヴィニョンの娘たち』と『ゲルニカ』ではないでしょうか。
『アヴィニョンの娘たち』は、当時モンマルトルでピカソと交流していた画家たちでさえ「ピカソは気が狂ったのではないか」と本気で心配するほどのインパクトを持っていたと言われています。
「キュビズムの原点」と呼ばれる作品です。
『ゲルニカ』
1937年におこったスペイン北部バスク地方の小都市ゲルニカに対する無差別爆撃が主題になっています。
「牛は○○、馬は○○」と多様な解釈が可能ですが、ピカソ自身は絵の中のものに意味を持たせることを避けています。
『アヴィニョンの娘たち』解説
『アヴィニョンの娘たち』解説
時代によって作風を変化させたピカソが「青の時代」や「バラ色の時代」を経て1907年の夏ごろに完成させた作品です。
描かれているのはスペインバルセロナのアヴィニョン通りの売春宿で働く5人の女達です。
ピカソはこの作品で、遠近法や明暗などによって表現していた従来の写実的な現実感ではなく、複数の視点から対象物の形をいったん解体したうえで、画面の中で再構成することで新しい現実感を表現しようとしました。
キュビズムとは?
人間は本来、視線の先にあるものを同時に異なる方向からみることは出来ません。
しかしピカソは、上下左右、あるいは表裏からみた対象を、すべて二次元に描こうとしました。これがキュビズムです。
キュビズムの原点
『アヴィニョンの娘たち』でいえば右手前の背中を向けながらも顔だけがこちらを見つめている女性が、まさに表裏一体となっています。
この『アヴィニョンの娘たち』はキュビズムの原点と言われています。
アフリカ原始美術からの影響
19世紀末から、フランスには植民地アフリカから美術品がもたらされ、パリでブームを引き起こしていました。
ピカソはもちろん、アンリ・マティスもアフリカ原始美術に魅せられ、アルジェリアに彫刻を買いに行った程です。
『アヴィニョンの娘たち』の右二人の顔も、アフリカ美術の影響を受けていると考えられます。
参考文献
画家大友義博
『一生に一度は見たい西洋絵画 BEST100』(大友義博)
美術に苦手意識がある人はこの本から読みましょう。
東京藝術大学 秋元雄史
『武器になる知的教養 西洋美術鑑賞』(秋元雄史)
西洋美術の知識が少ない人はまずこの本から読みましょう。
もっと知りたいピカソ
『もっと知りたい ピカソ 生涯と作品』(大高保二郎監修 松田健児著書)
ピカソの人生、交友関係についてもっと詳しく知りたくなった方は読んでみて下さい。