ベックリン『死の島』を解説~バーゼル美術館のみどころ

はじめに

今回はバーゼル美術館所蔵、ベックリンの『死の島』を解説していきます。

バーゼル美術館、Wikipediaより引用

ベックリンとは?

アルノルト・ベックリン(1827~1901)はスイスの画家

『自画像』(ベックリン、1873年、ハンブルク美術館)

スイスのバーゼルで生まれたベックリンはドイツで絵を学び、イタリアへの憧れを抱きヨーロッパの各地を放浪しました。彼が生きた時代は印象派の勢いが強く、幻想的な作風のベックリンはあまり人気がありませんでした

『ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像』(ベックリン、1872年、ベルリン旧国立美術館)

アル中と化していたベックリンですが、フィレンツェで若き未亡人から「夫の喪に服し、夢想するための絵が欲しい」と言われ、彼女のために作品を仕上げます。そう、それが『死の島』です

「この絵なら夢想できるでしょう」と手紙を書いて贈ったところ、彼女は絵が気に入り、『夢想するための絵』と呼びました。「死の島」というのは後に画商によって付けられたものです。

ベックリンは同じモチーフで作品を五つ仕上げました。未亡人に渡したのは二枚目、メトロポリタン美術館に所蔵されているものです

『死の島』(ベックリン、1880年、メトロポリタン美術館)
『死の島』(ベックリン、1883年、ベルリン旧国立美術館)
『死の島』(ベックリン、1884年、第二次世界大戦中に焼失)
『死の島』(ベックリン、1886年、ライプツィヒ造形美術館)
お辞儀!

ちなみに、『生の島』という作品も描いています(いかにも雑学クイズの問題になりそう)。

『生の島』(ベックリン、1886年、バーゼル美術館)
生の島っていうよりもあの世って感じですね笑

『死の島』解説

糸杉が何本も高くそびえています。太陽神アポロンが誤って自分の鹿を弓で殺した少年キュパリッソスを永劫に嘆き続けられるよう糸杉へと変身させたというエピソードから、糸杉は死の樹であると言われています

『死の島』(ベックリン、1880年、バーゼル美術館)

白装束の男が死神なのかそれとも死者なのかは分かりませんが、糸杉が死のシンボルであること、島に空いている不気味な埋葬所からも。この島が死の島であり墓場であるということは確かでしょう

19世紀の冒頭からヨーロッパでは墓地のクリーン化が進んでいたこともあり、ヨーロッパ全体で19世紀末に厭世的な雰囲気が蔓延していたこともありこの絵はドイツで大ヒット。大量の複製画や銅版画が多くの家庭で飾られていたそうです。ロシア出身の作曲家、ラマ二ノフがこの絵を題材に交響曲を作ったのはよく知られているエピソードです(私は知りませんでしたが)。

かのヒトラーもこの作品が気に入り、三つ目の『死の島』(現在ベルリン旧国立美術館に所蔵されているもの)を所有していたそうですよ。

後世のシュルレアリスムの画家達にも影響を与えたと言われている『死の島』。偉大な作品は時代を含め全てを超えると実感。

参考文献

この記事は『怖い絵2』(中野京子)を参考にしています。

興味を持った方は是非。