金剛峯寺を解説〜読み方は?、建てた人は?宗派は?歴史は?

はじめに

今回は高野山金剛峯寺の解説をしていきたいと思います。

金剛峯寺解説

読み方は?

金剛峯寺は「こんごうぶじ」と読みます。

場所は?

金剛峯寺は紀伊山地にある高野山に大伽藍を構え、高野山全体を境内とし、山域のいたるところに建つ117の塔頭寺院をまとめて金剛峯寺といいます。

世界遺産登録

金剛峯寺は2004年に世界遺産に登録されました。

建てた人は?

この寺院を開いたのは真言宗の開祖である空海です。

宗派は?

つまり、金剛峯寺の宗派は真言宗となります。

歴史は?

始まり

816年に空海は嵯峨天皇の勅令を得て、高野山に真言密教の道場を開きます。空海がこの山を選んだのは、仏教者が自然と感応でき、修行に適した深山幽谷の地だと捉えたからだと言われています。

嵯峨天皇

焼失そして最盛期

994年に火災にあい、ほとんどの伽藍が焼失してしまいましたが、まもなく再興され、鎌倉時代には2000もの堂舎を擁する大寺院となりました。これが金剛峯寺の最盛期となります。

「金剛峯寺」のはじまり

1593年に豊臣秀吉が母を供養するために清巖寺を建立すると、その隣に真言宗の僧侶・木喰が興山寺を建立。両寺が1869年に合併され、金剛峯寺という名で呼ばれるようになりました。

見どころ

壇上伽藍

空海が高野山を開創する際、真っ先に取りかかったのが壇上伽藍の整備。空海自ら足を運び、堂塔が建立されていきました。

壇上伽藍の伽藍配置は奈良仏教のものとは大きく異なる形となっています。是非荘厳な建築郡を巡ってみて下さい。

奥之院

奥之院は20万もの墓石郡が立ち並ぶ世界最大級の墓地です。徳川家から豊臣家、武田信玄、上杉謙信、高野山を攻めた織田信長、そして空海。名だたる歴史上の人物たちがねむっています。是非日本の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

参考文献

この記事は『日本の古寺101選』(廣澤隆之監修)を参考にしています。

お寺に興味のある方はもちろんですが、旅行が好きな方も事前に読んでおくと、旅がぐっと豊かなものになりますよ。