はじめに
今回はマンハイム市立美術館所蔵、エドゥアール・マネの『皇帝マクシミリアンの処刑』について解説していきます。
『皇帝マクシミリアンの処刑』
メキシコの内乱とマクシミリアン一世
舞台はメキシコ。
メキシコは1821年に一応の独立を果たしたものの、保守党と自由党の内乱が続くなど不安定な状態でした。
最初に独裁を敷いたのはサンタ・アナ率いる保守党。
しかし、米墨戦争に破れ国土の約半分を失うと、自由党に交代します。
フアレスの自由党は教会財産の没収、土地改革、さらには債務の返済停止などを宣言。
すると、ここにフランスが介入してきます。
フランスはメキシコ支配のため最後まで干渉を続けます。保守党と手を結び、フアレス政権を首都から追い出し、をマクシミリアン大公を送り、皇帝に据えます。
しかし、相互不干渉を謳うモンロー宣言がアメリカによって出されフランスは撤退。置き去りにされたマクシミリアンは自由党によって処刑されました。
『皇帝マクシミリアンの処刑』解説
処刑するメキシコ軍の服装ですが、これはフランス軍のものに似ています。
一方で、画面左側に並んでいる処刑される側の人たちは抵抗する様子なども見えず、マネの哀悼の意が見れるとの意見もあります。
作品の構図は、ゴヤの『マドリード、1808年5月3日』の影響を大きく受けていると言われおり、この演出には、自由主義者であったマネの体制側への批判、処刑されたマクシミリアンらに対する哀悼の意が込められていると言われています。
参考文献
この記事は『名画で読み解く世界史』(祝田秀全監修)を参考にしています。
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