ロシアの画家ブリューロフ、『ポンペイ最後の日』を解説~ロシア美術館所蔵

はじめに

今回はロシアの画家、ブリューロフの描いた『ポンペイ最後の日』について解説していきます。

ロシア美術館、Wikipediaより引用

ブリューロフとは?

ブリューロフ(1799~1852)はロシアの画家で、ロシア帝立アカデミーの教授ともなった人物です。同時代の著名なロシア人の肖像を数多く手がけていることでも知られています。

『自画像』(ブリューロフ、1848年、トレチャコフ美術館所蔵)

友人たちからは偉大なカールと呼ばれ、国際的な評価を得たロシア初めての画家であると言われています。

『イタリアの朝』(ブリューロフ、1823年、クンストハレ・キール)
『イタリアの真昼』(ブリューロフ、1827年、ロシア国立美術館)

『ポンペイ最後の日』解説

ポンペイとは?

ポンペイとは、イタリアナポリ湾のふもとの都市です。現在は遺跡となっています

ポンペイの想像図

紀元79年、イタリア南部にあるヴェスヴィオ火山が大噴火。火砕流がナポリ湾のすぐ近くまで迫ってゆきます。

Wikipediaより引用
ヴェスヴィオ火山を背景に

ナポリ湾のふもとに位置しているポンペイの住民はすぐさま避難。ポンペイの人口は2万5千人、逃げ遅れたものなど計2000人が息絶えたと言われています。

降灰は4日にもわたり、積もった灰は6メートルにも及んだと言われています。当時ポンペイは上流階級の保養地だったためローマ皇帝は直ちに再建を考えましたが断念、その後放置される状態が続きます。

ポンペイのナルキッソスの壁画、Wikipediaより引用

月日は流れ1700年代の初め。この辺りから大理石や彫刻らしきものが出てくることが知られ始めます。当時のナポリ王が本格的発掘を開始、展示館の建設、カタログを制作したのを契機に、ヨーロッパ中でイタリア旅行に熱が入ります。

娼館に残っていた壁画

当然、このロマンある遺跡は多くの芸術家を惹き付けます。美術史家ヴィンケルマン、文豪ゲーテ、マリーアントワネットの肖像画で知られるヴィジェ=ルブランなどもポンペイを訪れました。

ラファエル・メングスによるヴィンケルマンの肖像画(メトロポリタン美術館、1777年頃)
ゲーテの肖像(シュティーラー、1828年、ノイエ・ピナコテーク)
『自画像』(ヴィジェ=ルブラン、1781-82年、キンベル美術館)

画家も例外ではありません。イギリス人ジョン・マーティン、フランス人アンリ・ショパン。

『ポンペイとエルコラーノの壊滅』(復元版)(ジョン・マーティン、1821年、テート・ブリテン)

ロシア人、ブリューロフもその一人です。

『ポンペイ最後の日』解説

大まかに言って光景には猛威を振るう自然、前景には逃げ戸惑う人々が描写されています。

不気味すぎる黒雲からは暑い小石が降り注いでいます。その黒雲を引き裂く稲妻が幾筋にも走り、火とともに暗い夜景とのコントラストとなっています。石造りの建物の崩壊、落下しつつある巨大な二体の神像が終焉を感じさせます。

『ポンペイ最後の日』(カール・ブリューロフ、1833年、国立ロシア美術館)
まさに世界の終わり。この悲壮感は昔遊んでいたキングダムハーツ・バース・バイ・スリープのラストを思い出します。

なすすべもなく翻弄させる人々も多彩に描写されています。画面一番右にはぐったりとした花嫁を抱く若者、その少し左には座り込んだ婦人の手を自分の胸に押し当てなにか告げている男の子。そしてその左には、おそらくは自分では歩けないのであろう老人がローマ兵に抱えられています。ここまでが画面右半分。

この老人と対称的に、画面左側で手を伸ばしている若い父親。熱石を避けようと布を被って歩いています。左端には親子でしょうか、若い娘を両手に抱く女性。絶望の表情が見て取れ悲壮感が感じられます。

このドラマティックな絵画はより多くの人々をポンペイに引き付けたのみならず、後の多くの芸術家にもインスピレーションを与えたと言われています。

参考文献

この記事は『中野京子と読み解く 運命の絵』(中野京子 2017 文藝春秋)を参考にしています。

壮大な歴史を感じたい方は是非手に取ってみてください。

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