はじめに
今回はポンピドゥーセンター所蔵、ヴィクトル・ブローネルの『自画像』を解説していきます。
ブローネルとは?
ヴィクトール・ブローネル(1903~1966)はルーマニア生まれのユダヤ人画家。
彼が4歳のときにモルドヴァ農民蜂起がありポグロム(ユダヤ人に対する集団的・組織的迫害)が発生したため、一家はドイツのハンブルクへ移住。三年後には帰国するも9歳のときにバルカン戦争が勃発し、ウィーンへ移住。二年後に戻り、ブカレスト美術大学で学び、22歳でパリへ出、以後往復生活が始まります。
自身や家族がポグロムに直接さらされるということはなかったものの、若い頃に植え付けられた逃亡の経験はさぞかし大きなトラウマとして残ったことでしょう。ブローネル自身もルーマニアには恐怖しかないと述べている程です。
ブローネルは生涯に渡ってヨーロッパを転々とし、最後はフランス人としてモンマルトルの墓地に葬られました。
『自画像』解説
タイトルにもある通り画家の自画像。ただ何といっても不気味なのがどろりと溶けた左眼です。
実はブローネルは他にも眼を主題にした絵を描いており(Dというアルファベットのついた棒に片眼を刺しぬかれた絵)、彼のアイデンティティーのようなものになっていきます。
1938年、ある出来事が起こります。
ブローネルがシュール・レアリストの画家仲間、エステバン・フランセスとオスカル・ドミンゲス(Dの名を持つもの)と夕食を取っていたときのこと。
なにがあったのか些細なことで喧嘩となり殴り合いになりかけます。ブローネルが仲裁に入り、フランセスを抱えますが、そこにドミンゲスがグラスを投げつけます。割れたグラスの切っ先がブローネルにヒット。左眼をざっくりと持っていかれてしまいます。そう、絵と全く同じように(哀れなブローネル…いつも損をするのは当事者ではなく「いい人」なんですよね)。
その後、彼の絵は「キマイラ時代」と呼ばれる画面を薄もやが覆うものになっていきます。なんと不憫な。
ただ、自分の中から自然に湧き上がってくるものをそのまま表現しているという点では芸術家の鏡であったと言えると私は思います。
参考文献
この記事は『中野京子と読み解く 運命の絵』(中野京子 2017 文藝春秋)を参考にしています。
興味を持った方は手に取ってみて下さい!