はじめに
今回はニューヨークメトロポリタン美術館所蔵、ギュスターヴ・モローの『オイディプスとスフィンクス』を解説していきます。
ギュスターヴ・モローとは?
ギュスターヴ・モロー(1862~1898)は聖書や神話の主題を幻想的な雰囲気で描いた画家です。
『オイディプスとスフィンクス』解説
オイディプス王のあらすじ
舞台はギリシャ。
テーバイの王ライオスは自分の子に殺されるとの神託を受け、妃イオカテスとの間に生まれた乳飲み子を始末することにします。赤子は足に釘を打たれ山中に捨てられてしまいますが、通りがかった羊飼いがその子を見つけ、遠くにある国コリントスの子宝に恵まれていなかった王に渡しました。
釘を打たれ足が腫れていたため、「腫れた足」という名前を付けられた男の子は王の実子として育ちます。そして成人後、未来を知るために神託を受けに行くと、「父を殺し、妻をめとる」と告げられます。恐ろしくなったオイディプスはコリントスへは戻らずあてのない旅に出ます。
ある日、放浪中のオイディプスは前からきた立派な車に道をふさがれます。どちらが道を譲るかで口論となり、オイディプスは乗っていた男と御者を殺してしまいます。供の者は一人で逃げ去りました。
どれだけ短期なんだよと突っ込みたくはなりますが、みなさんお気づきの様に、この殺された男というのがテーバイの王ライオスです。
スフィンクス登場
いつしか生まれ故郷テーバイへやってきたオイディプス。王が行方不明となり、さらには怪物スフィンクスがやってきたとのことで都は大混乱。スフィンクスは道行くものに謎をかけ、解けないものを食べてしまっていました。スフィンクスを倒すことが出来たら王にしてやると言われたオイディプスは対決に向います。
スフィンクスは「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足のものは何か?」と謎をかけます。それに対しオイディプスは「人間」と即答。スフィンクスは崖から身を投げて死んでしまいました(一応解説しておくと、四つん這いの赤ん坊→二足歩行の聖人→杖を持った老人ということですね)。
悲劇は加速する
スフィンクスを倒したことでテーバイの王となったオイディプス。もちろん妻はライオス王の元妃、イオカテス。オイディプスの母親です。
二人は四人の子を産み、幸せに暮らし始めたように見えましたが、テーバイには不作、疫病など不幸が次々と到来します。真相究明に乗り出すオイディプス、どけどかないのいさかいの際に逃げ出したライオス王の家来が見つかり、彼は真実を知ります。
「ああ、日の光よ、お前を見るのも今が最期だ、この私は生まれてはならない人から生まれ、交わってはならない人といっしょになり、殺害してはならない人を殺したのだ」(呉茂一訳)
オイディプスはこう言い残し、自分の両眼を潰すと再び旅に出ました。母であり妻であったイオカテスは真実を知っており首を吊っていました。
『オイディプスプ王とスフィンクス』解説
オイディプスとスフィンクスの対決シーンを描いた一枚。。
良ーくスフィンクスの顔を見てみると歯が出ているのが分かります。恐らく問題を出した後に「どうせ答えられないのだろう」と高をくくってオイディプスを食おうと飛び掛かって言った瞬間だと考えられます。
とにかく不気味なスフィンクス。頭に巻いてあるのは真珠付きのティアラ、胴体に赤色のネックレス、血で汚れた体、異様に大きい体、完全にいってしまっている目。雰囲気は幻想的ですがあくまでタッチは写実的なのでより一層気持ち悪さが引き立っています。めちゃくちゃ大きい蝶とか蛾を見た気分になります。金や権力にものを言わせて強引にせまるけばけばしい女性に見えなくもない。
背景の鋭くたつ山、薄暗い空など不気味な雰囲気を作り出すのに一役買っています。画面手前にはスフィンクスに敗れ去ったものたちの無残な死体が。おそらく喰いちぎられているのでしょう。
気持ち悪く幻想的で尚且つカッコいい、モローの醍醐味が凝結された作品と言えそうです。
参考文献
この記事は『中野京子と読み解く 運命の絵』(中野京子 2017 文藝春秋)を参考にしています。
興味を持った方は是非。