はじめに
今回は富国強兵を簡単に解説していきたいと思います。
富国強兵とは?簡単に解説
いつ?
明治初期です。
幕末期にも富国強兵をスローガンに経済改革、軍事改革などが幕府・諸藩それぞれに進められましたが、本格的に国家政策として一体化されたのは維新政府として統一されてからです。
なぜ?
東アジアへ進出する欧米列強に対抗するため、軍事力を背景とした列強外交に負けないための国力充実が緊急の重要課題だったためです。
明治初期、「富国強兵」のスローガンのもと、経済面、軍事面での西欧化、庶民生活の近代化(文明開化)が国民的目標として叫ばれ、庶民にも浸透していきました。
意味は?
「富国」
「富国」とは殖産興業政策で、金融・銀行などの資本主義的制度の導入や、近代技術を取り入れた諸産業の保護育成、通信・交通・流通などのインフラ整備も必須でした。
幕府や諸藩が幕末期に殖産興業に励み設立していた工場や鉱業施設や造船所などを、明治政府は官営として引き継ぎました。
また、多額の資金を投じて富岡製糸場などさまざまな官営工場を設立し、北海道には開発拠点となる開拓使をおきました。
さらに、西洋技師を雇い入れ、留学生を送り、西洋技術の導入とともに、生産用機械も輸入し、産業育成に尽力しました。
「強兵」
「強兵」は、徴兵令の発布と、近代的軍隊編成による陸海軍の建設を指します。1872年に徴兵告諭が出され、1873年には徴兵令が発布されました。
身分に関わりなく20歳以上の男子に3年間の兵役が義務づけられましたが、戸主とこれに準ずる長男や養子、官吏、官立学校生などは免役規定があり、その他にも代人料270円で免疫されたため、実質的に富裕者は免除されるものでした。
軍隊経験のない農民や町民から反対の一揆が起こったりしましたが、のちに兵員確保の必要性が増して再三の免除縮小が行われ、1889年発布の大日本帝国憲法では兵役が「日本臣民」の義務とされ、徴兵忌避者に対する罰則も規定されました。
参考文献
この記事は『1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365【歴史篇】』(小和田哲男監修)を参考にしています(↓本のアマゾンリンク)。
政治・経済・文化・信仰・争いなど、様々な面から日本史にアプローチ、簡潔で分かりやすい解説が魅力的です。大人の日本史の学び直しにはもちろん、受験生の知識の整理の読みものにもピッタリです。