はじめに
今回は刀伊の入寇を簡単に解説していきます。
刀伊の入寇
刀伊とは?
刀伊とは、高麗語で女真のことを指し、のちに金を建国するツングース系民族です。今のロシア南東部(日本海北西岸あたり)を生活の場としていました。
いつ?
1019年、刀伊が突如50艘余りで対馬・壱岐の島に襲来し、一週間ほどで九州に上陸して、殺害・拉致を行いました。女真は宋と遼の対立による混乱に乗じて高麗での略奪をしばしば行っており、一部が海賊して日本にやってきたという背景があります。
藤原隆家の撃退
この刀伊の襲来は、初めての外国勢力による大規模な侵攻でした。藤原隆家の指揮で撃退しましたが、それまでの約2週間、合計千数百人を拉致、四百数十人をさつがい、200頭以上の牛馬や犬を食すなど、被害は大きいものでした。
藤原隆家は都で藤原道長との政権争いに敗れた兄・伊周とともに出雲に左遷されたのち、許されて大宰府に赴任した人物です。大宰府の府官(官人)と北部九州の在地豪族を掌握し、刀伊のもたらした日本の危機を排しました。
戦いには臨時戦力として在地の武士集団も協力していて、地方における武士集団の軍事力が上がっていることも歴史的には無視できず、後世、九州の有力武士に成長していく菊池氏など隆家の子孫を名乗る者が多いのも彼の影響力の強さを伺わせます。
参考文献
この記事は『1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365【歴史篇】』(小和田哲男監修)を参考にしています(↓本のアマゾンリンク)。
政治・経済・文化・信仰・争いなど、様々な面から日本史にアプローチ、簡潔で分かりやすい解説が魅力的です。大人の日本史の学び直しにはもちろん、受験生の知識の整理の読みものにもピッタリです。