はじめに
今回は末法思想と浄土教を簡単に分かりやすく解説していきます。
末法思想を簡単に分かりやすく
末法思想とは?
末法思想とは、釈迦の死後1000年を正法(仏法が正しく行われる期間)、次の1000年を像法(仏法の衰え始める期間)、それ以降を末法として区切り、末法の世になると仏道修行をしても成果はなく、悪事が横行するという思想です。
何年から?広まった理由は?
1052年からです。
この末法思想は10〜12世紀頃、広がりを見せ、それとともに浄土教が貴族社会に浸透していきました。この末法の世には1052年から入るとされていました。
以前から摂関家への権力の集中などの社会的要因と、疫病の流行、仏教界の情勢不安定などによって、貴族たちは厭世的になり浄土への憧れを高めていました。
浄土教の教えとは?
浄土教の教えは「厭離穢土(おんりえど)」「欣求浄土(ごんぐじょうど)」に集約されます。
現世を穢土(けがれた世界)として厭い、念仏を唱え、阿弥陀仏による救済によって穢土から離れて浄土に生まれ変わることを欣(ねが)い求める。この思想は、源信の著したいわば極楽浄土の手引書『往生要集』の大流行によって貴族から庶民にまで流布しました。
『往生要集』は地獄の恐ろしさと極楽のすばらしさを説いて、念仏と観想によって極楽往生する方法を示しています。「観想」とは、より緻密に、阿弥陀仏の姿や極楽浄土をイメージすることによって迷いを取り去ろうとする修行です。
浄土思想は文化芸術に大きな影響を与えました。凡人には頭の中で「観想」することは難しいため、金色の阿弥陀如来像とそれを納める阿弥陀堂などの視覚芸術がその一例で、末法元年に藤原頼通が造営した平等院鳳凰堂のものが有名です。
その他にも、浄土からのお迎えを描いた「来迎図」は、臨終の際枕元に於いて、極楽往生を一心に願うのに用いられました。
文学でも浄土に往生した人々の略伝をモデルケース的に収録した往生伝が多く撰述されました。『源氏物語』などの物語作品にも浄土思想が色濃く表れており、源信をモデルにしたといわれる横川僧都も物語終盤の「宇治十帖」のキーマンとして登場しています。
参考文献
この記事は『1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365【歴史篇】』(小和田哲男監修)を参考にしています(↓本のアマゾンリンク)。
政治・経済・文化・信仰・争いなど、様々な面から日本史にアプローチ、簡潔で分かりやすい解説が魅力的です。大人の日本史の学び直しにはもちろん、受験生の知識の整理の読みものにもピッタリです。