イリヤ・レーピンの『イワン雷帝とその息子』を解説~トレチャコフ美術館

はじめに

今回はトレチャコフ美術館所蔵、『イワン雷帝とその息子』を解説していきます。

トレチャコフ美術館、Wikipediaより引用

イリヤ・レーピンとは?

イリヤ・レーピンと(1844~1930)はロシアの画家で指導的リアリズム、つまり反体制的な絵画を描き続けました。若い頃の出世作、『ヴォルガの船曳たち』では家畜のような肉体労働をさせられる男たちを描いています

『ヴォルガの船曳きたち』(レーピン、1870-73年、ロシア美術館)

コサックの絵なども有名です

『トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック』(レーピン、1880-91年、ロシア美術館)

『イワン雷帝とその息子』解説

描かれているのはイワン雷帝(イワン四世)とその息子、つまり皇太子。頭から血を流している皇太子をイワン雷帝が絶望的な表情で抱きかかえています。一体何が起こったのでしょうか?

『イワン雷帝とその息子』(レーピン、1885年、トレチャコフ美術館)

イワン雷帝はその名の如く暴君、画面手間に落ちている杖で気に食わぬものに制裁を加えて来ました(『利根川』の兵藤会長のように)。その癇癪持ちがたたり、この絵に描かれている出来事の前にある事件が起こっていました。

皇太子には妻がおり妊娠していました。そのため、行事の際に正装で長時間立ち続けることは難しかったため略装で出席したところイワン雷帝が激怒、杖で殴りつけます。信じられない行為なのですが、結果も悲劇的、打ちどころが悪く皇太子妃は流産してしまいます

皇太子はおそらくその件について父親と話がしたかったのでしょう、ツァーリ(ロシア皇帝)の部屋で面談。悲しかな、息子に非難されたイワン雷帝はまたしても激昂、息子を杖でぶん殴ります

またしても打ちどころが悪く、皇太子の頭にヒット、帰らぬ命となってしまいます。我に返った雷帝は絶望。思わず息子を抱きますが徐々に彼の体温は下がっていき…

『自ら殺した息子の遺骸の傍らに座るイヴァン4世』(ヴェチェスラフ・シュワルツ、1864年、トレチャコフ美術館)

レーピンがこの絵を描いたのは、1881年のアレクサンドル二世暗殺事件に端を発する、当時の体制の自由主義者への苛烈な弾圧に対する反抗のためだと考えられています。支配者側の復讐は留まるところを知らず多くの若者が殺される状況だったと言われています。

「統治能力のない愚かな老人が、自分をいさめに来た若者に逆切れして挙句の果てには暴力、取り返しが付かなくなるぞ」というのがおそらくレーピンのメッセージでありなんとも皮肉が効いています。

参考文献

この記事は『怖い絵』(中野京子)を参考にしています。

興味を持った方は是非。