はじめに
今回はマウリッツハイス美術館所蔵、レンブラントの『テュルプ博士の解剖学実習』を解説していきます。
レンブラントとは?
レンブラント・ファン・レイン(1609~69)はオランダの画家です。
その才能から若くして名声を手に入れましたが、妻と子を亡くし破産するなどなかなか劇的な悲劇的な人生を歩んでいます。
『テュルプ博士の解剖学実習』解説
集団肖像画
空前の繁栄を誇っていた17世紀のオランダ。アムステルダムは世界一の大都市となり、絵画がどんな貧しい家にも飾ってあったと言われています。
そうは言っても高いものは高い。腕がある画家への依頼料は高い。そこで市民たちが思い付いたのが皆でお金を出しあって、集団肖像画を描いてもらおうというアイデア。完成しものはホールなどに飾れば問題なし。
というわけでオランダでは独自の「記念集団肖像画」というジャンルが大流行。アムステルダム外科医ギルドのメンバーもまた、ぜひ肖像画を描いてもらおうということで画商に相談します。そこで紹介されたのが、みなさんもよくご存じのレンブラント。
『テュルプ博士と解剖学実習』解説
絵の依頼者である7人のメンバーがニコラス・テュルプという博士の講義を受けています。
切開された腕の内部を真剣な面持ちで覗き込む者、博士の顔を見るもの、死体の足元に広げられた大きな本に目をやるものなど個性豊かに描かれています。
絵の出資者たち(外科医)は実は2〜4年の徒弟修行を受けたのみのため、実践能力はあっても学問的素養にはかけていたのです。彼らのみならず外科医の地位というのは当時は低く、医者として尊敬されていたのはテュルプのような内科医や病理学者のみでした。それゆえ、このように著名な博士の講義を受けられることはもちろん、彼と一緒にいる絵を飾ることが出来た外科医たちはたいへん誇りに思っていたことと想像がつきます。
話は変わりますが、死体の男。この男は強盗及び看守を殴って重症を負わせた咎により絞首刑になってここにきています。当時は死後に体を切り刻まれるというのが深い罰とつながっていたんですね。
構図の面でいうと、この絵には三角形が多く存在しています。画面中央から左にかけての人物郡、博士の両手と死体の左手など。このような斬新な構図はもちろん、珍しい光の当て方はそれまでの集団肖像画からは一線を画すものであり、レンブラントの名を世に轟かせることとなりました。
参考文献
この記事は『怖い絵2』(中野京子)を参考にしています。
興味を持った方は是非。