はじめに
今回はウィーン、シェーンブルン宮殿所蔵、マーティン・マイテンス2世の『マリア・テレジアと家族』について解説していきます。
参考文献
この記事は『名画で読み解く世界史』を参考にしています。
美術、世界史に関する知識をセットで学べるオススメの本です。世界史に興味がある方はもちろん、旅行好きの方にも読んでほしい一冊です。
『マリア・テレジアと家族』解説
家督相続の妨害〜オーストリア継承戦争
マリア・テレジアがハプスブルク家の家督を継ごうとしたところ、バイエルン選帝候カール・アルブレヒト
フランスのルイ15世
プロイセンのフリードリヒ2世
に反対されたことで起こったオーストリア継承戦争。
彼女は隣国ハンガリーに赴き、交渉の末なんとか女王となり、ハンガリー議会で涙ながらに支援を訴えます。
ハンガリーの後ろ楯を得た彼女は、バイエルン軍を押し返すことに成功。1742年にはプロイセンと講和を成立させ、オーストリア王位の継承は承認されました。
その後、夫がフランツ一世となったものの、実質的には彼女がハプスブルク家の舵をとり、女帝として君臨し続けることになりました。
若い頃のマリア・テレジア
良妻賢母のビッグマム
マリア・テレジアと夫フランツ一世は当時には珍しい恋愛結婚で、彼女にとって夫、そして家族は最愛の存在でした。閣僚、子供たち、そして夫と毎日3回別々の人と朝食をとっていたという話からもその愛情は伺うことが出来ます。
オーストリア継承戦争からも分かるとおり、その政治的手腕も有名です。
16人の子を産んでおり、のちにフランスの王妃となるマリー・アントワネットも彼女の子供の一人。婚姻政策で勢力拡大を図り、宿敵だったフランスとの政略結婚を実現させたのもマリア・テレジアです。
『マリア・テレジアと家族』解説
本作品は、良妻賢母の逸話に事欠かないマリア・テレジアとその家族を描いたマーティン・マイテンス2世の作品です。
画面右側で椅子に座っているのがマリア・テレジアで、左側で座っているのが夫フランツ一世。
マリア・テレジアの左側に立っている、赤い服を着た青年が時期皇帝となるヨーゼフ2世で、右側にいる小さな男の子がそれを継いだレオポルド2世。
画中にいる人物の手に注目してみて下さい。
マリア・テレジア自身は自分を指差しており、フランツ一世、ヨーゼフも同じことをしているのが分かります。
これはフランツ一世が神聖ローマ皇帝として君臨していたものの、実際の統治は彼女が行っていたことを示すための絵画上の仕掛けです。