はじめに
今回はミュンヘン・アルテ・ピナコテークのみどころ、アルブレヒト・アルトドルファーの『アレクサンドロスの戦い』を解説していきます。
アルブレヒト・アルトドルファーとは?
アルブレヒト・アルトドルファー(1480年頃~1538)はドイツ・ルネサンスを代表する画家であり建築家。純粋風景を描いた先駆者で、壮大な雰囲気が特徴。
『アレクサンドロスの戦い』解説
『アレクサンドロスの戦い』解説
紀元前333年の「イッソスの戦い」を描いたもの。アレクサンドロス(アレクサンダー大王)がペルシア軍を倒し、ダレイオス三世の母と妻子、兵士を捕虜にして勝利します。
画面中央からやや左に白馬の馬車に乗っている人物がお見えでしょうか。彼がまさに今敗走するダレイオス。
そしてその右、長い槍を持って大軍を引きつれて追いかけているのがアレクサンダーです。
画面右上の上昇中の太陽がアレクサンダー、左上の消え入りそうな三日月はイスラムのシンボルでありダレイオスを象徴していると考えられます。
画面情報で存在感を放つ板には、ラテン語で今しがた地上で起きているイッソスの戦いが解説されているそうです。そいういうと何だか絵本というかアニメーションっぽいですよね。
歴史的背景
ではなぜこの絵が描かれたのかというと、当時のキリスト教社会でイスラムに対しての脅威が高まっていたからだと言えます。
1453年の「コンスタンチノープル陥落」でかつてのビザンチン帝国(東ローマ帝国)の首都がオスマン・トルコに奪われ名もイスタンブールに変えられていました。そのショックも冷めやまぬ間に、ベオグラードが制圧、ハンガリーの領土が奪われたりなどオスマントルコの侵攻が続きます。
このような状況下でバイエルン大公ヴィルヘルム4世はアルトドルファーに絵を発注う。つまり、戦勝祈願としてイッソス戦を題材にして『アレクサンドロスの戦い』が描かれたというわけです。
その甲斐あってか、スレイマン一世にウィーンに攻め込まれますが、物資の輸送の遅れや悪天候などの理由でオスマン・トルコ軍は退却(ウィーン包囲)。はっきり言って普通に戦っていたら負けていたと思われるだけに神頼みが効いたというところでしょうか?
参考文献
この記事は『中野京子と読み解く 運命の絵』(中野京子 2017 文藝春秋)を参考にしています。
興味を持った方は是非。