はじめに
今回はリヨン美術館所蔵、ピエトロ・ダ・コルトーナの『クレオパトラを玉座につけるカエサル』について解説していきます。
参考文献
この記事は『名画で読み解く世界史』(祝田秀全監修)を参考にしています。
美術、世界史に関する知識をセットで学べるオススメの本です。世界史に興味がある方はもちろん、旅行好きの方にも読んでほしい一冊です。
『クレオパトラを玉座につけるカエサル』解説
「賽は投げられた」
カエサルがガリア遠征を成功させた頃、ローマにいたポンペイウスが元老院と組み、カエサルを裏切ろうとしていました(以下の記事も参照)。
これを知ったカエサルは精鋭を率いてイタリアとの境界ルピコン川に至ると「賽は投げられた」と言って武装したま川を渡り、ローマへ進軍し、反旗を翻します。驚いたポンペイウスはローマを逃げ出し、カエサルが難なく実権を握ります。
ポンペイウスは前48年にカエサルにギリシャで敗れエジプトへ逃亡。当時エジプトではクレオパトラ7世(いわゆるクレオパトラ)と共同統治者の弟のプトレマイオス13世の争いが続いていました。クレオパトラはエジプトを追われ、エジプトの実権はプトレマイオス13世の側近、ポティノスの掌中に。
しかし、そのポティノスはローマの内乱に巻き込まれるのを嫌ったため、逃げ込んできたポンペイウスを殺害してしまいます。エジプトまでやって来たカエサルはポンペイウスはの死を聞いて悲しんだと言われています。
「来た、見た、勝った」
カエサルはクレオパトラに出会うや否やその美貌に魅了され、彼女を支援することに。カエサルのローマ軍はプトレマイオス13世のエジプト軍を破り、クレオパトラをエジプト女王の座につけます。
カエサルはローマに戻るとポンペイウス派を一掃。前47年に小アジアで反旗を翻したポントス王軍を打ち破った際には、「来た、見た、勝った」という名句でローマに勝利の報告をしています。
前45年までに各地の反乱を収めてポンペイウス派も一掃したカエサルは終身独裁官に就任しました。
クレオパトラはエジプト人?
絵の中でクレオパトラはエジプトの王ながらヨーロッパ人の姿で描かれていますが、彼女はれっきとしたギリシャ人。プトレマイオス王家はアレクサンドロス大王の武将であったプトレマイオスによって建てられた王朝であり、王家は女性が肉親のファラオと結婚して共同統治するなどエジプトの習慣を受け継ぐ一方で、ヘレニズム文化をエジプトに浸透させました。