中国の絶世の美女、楊貴妃を解説〜玄宗との関係は?楊貴妃の逸話とは?

はじめに

今回は中国の歴史上の美女、楊貴妃を解説していきます。

楊貴妃 解説

楊貴妃とは?

楊貴妃(719〜756)は中国史の中の4代美女の一人。世界史的に見てもクレオパトラに匹敵する美しさだったと言われています。

彼女は容貌が優れていただけでなく、芸術の才にも恵まれ、琵琶をはじめとして唐代きっての音楽家であり、舞踏家であったとも言われています。

玄宗皇帝との関係は?

楊貴妃は蜀州の出身ですが、幼い時に両親に死に別れ、叔父に育てられていました。

そんな楊貴妃の美貌に目をつけたのが唐の皇帝だった玄宗です。

735年に楊貴妃は玄宗の第十八子である寿王の后となりますが、740年には玄宗に見初められ、彼の第二夫人となります。

安碌山の乱

美しさゆえの悲劇か、玄宗の楊貴妃への偏愛は強く、実権を楊一族が握るようになり、一族が私腹を肥し、国政は乱れてしまいます。

そんな折、755年、ついに痺れが切され、安碌山の乱が起き、楊貴妃と玄宗は都の長安を逃れ、初地方に向かいます。

しかしその途中、玄宗に従っていた武士たちが楊貴妃の処刑を要求し、彼女は死を迎えることとなりました。

興平市にある楊貴妃の墓

逸話

楊貴妃には数々の逸話が残っています。

ライチを好み嶺南から長安まで早馬で運ばせたという逸話、彼女が持っていた磬(けい)という楽器は藍田の緑玉を磨いたものから作られていて、飾りの華やかさは比べるものがなかったという逸話、彼女は夏になるとよく汗をかき、それによって肌が赤くなり、汗を拭うと布が赤くなったという逸話…。

存在感のある人物というのは本当に色々なエピソードを残すものなんですね。

参考文献

この記事は『人物で読み解く世界史 365人』(佐藤優監修)を参考にしています。

人にフォーカスを当てて世界史を勉強できる本。歴史にそこまで詳しくない人でも分かりやすく、集中力を持続して読める本です。