『源氏物語の』作者、紫式部ってどんな人?藤原道長の関係は?本名は?

はじめに

今回は『源氏物語』の作者、紫式部を解説していきたいと思います。

紫式部ってどんな人?

『源氏物語』

紫式部は平安時代中期(10〜11世紀)の中流貴族・藤原為時の娘です。誰もが一度は聞いたことがある『源氏物語』の作者です。

紫式部は998年頃に藤原宣孝と結婚し、娘の賢子(大弐三位)をもうけました。しかし、1001年頃に宣孝と死別してしまいます。『源氏物語』の執筆の開始も、この頃と考えられています。

藤原道長の道長との関係

娘、彰子の侍女兼家庭教師

『源氏物語』は貴族の女性たちの間であっという間に人気になります。そして、その評判を聞きつけたのが藤原道長。

道長は、自分の娘、彰子の後ろ盾を強化するために、紫式部を彰子の女房(侍女)兼家庭教師として仕えさせます(彰子は政略結婚として一条天皇と結婚させられていたのですが、寵愛を受けているとは言い難い状況でした)。

『紫式部日記絵巻』に描かれている彰子(左)

紫式部のおかげか、彰子は1008年に敦成親王(後の後一条天皇)、1009年に敦良親王(後の後朱雀天皇)を出産し、道長が権力を握る土台となりました。

ちなみに、この文学者を後ろ盾にするというアイデアは道長の兄、藤原道隆が娘の定子にやったもの。この定子に仕えたのがそう、『枕草子』を著した清少納言です。

彰子には紫式部だけでなく、和泉式部(百人一首No56)や赤染衛門(百人一首No59)、伊勢大輔(百人一首No61)など名だたる才女たちが女房として仕えていました。

妾(愛人)説?

そんな道長の娘の家庭教師だった紫式部ですが、『紫式部日記』には道長からの誘いを拒絶したという記述も残っており、紫式部は道長の妾、つまり愛人だったという説もあります。

本名は?

実は「紫式部」というのは女房としての呼び名で、この名前は『源氏物語』の「紫の上」という登場人物と、彼女の父である為時の「式部丞」に由来しております、本名は不明となっています。

依然として謎は多い

その本名が分かっていなかったりと謎が多い紫式部。実は『源氏物語』の作者である点を差し引くと、中流貴族出身の平凡な女性にすぎず、人生の大半は未だ謎につつまれています。そんなミステリアスなところよ、1000年に渡って我々を魅了してくれる一面なのかもしれません。

参考文献

この記事は『人物で読み解く世界史 365人』(佐藤優監修)を参考にしています。

人にフォーカスを当てて世界史を勉強できる本。歴史にそこまで詳しくない人でも分かりやすく、集中力を持続して読める本です。