はじめに
今回は日本史の教科書にも出てくる玉虫厨子について解説していきたいと思います。
玉虫厨子解説
玉虫厨子解説
そもそも厨子(ずし)とは何かというと、仏像や舎利と呼ばれた仏の遺骨、または経巻などを安置するための仏具で現在の仏壇の原型となるものです。
この厨子は上半分の宮殿と下半分の基台となる須弥座(しゅみざ)からなっています。総檜造で黒漆塗り、要所に金銅忍冬文唐草透彫(こんどうにんどうからくさすかしぼり)の金具を張り、現在にはほとんど残っていませんが宮殿部の金具の下には虹の様に輝く玉虫の羽が伏せられていました。これが玉虫厨子という名前の由来となったわけですね。
宮殿の構造は入母屋造で正面と両側に扉があり、方注に深い屋根を支える雲形肘木を用い、屋根は瓦のしころ葺にで大棟の両端に装飾のし尾が上げられています。これら形態や細部の造りが法隆寺の建造物にとても似ていることも注目点です。
この玉虫厨子の素晴らしさは飛鳥時代の建築、木工、金工、漆工、絵画の技術の全てが渾然一体となっている点だと言われています。
捨身虎子のおしえ
捨身虎子は須弥座の側面に描かれている絵です(逆側には「施身聞偈」という過去世で婆羅門、つまり僧侶に生まれ雪山で苦行していた釈迦の話が描かれています)。
「捨身虎子」とは過去において高貴な王子として生まれた釈迦がたまたま竹林で飢えた子を抱えた母虎を憐み、山上から身を投げて自ら虎の餌食となったという話です。
仏教の世界では輪廻転生説かれており、ここでは悟りを得て輪廻の世界から解脱することが出来た釈迦が前世でどのような功徳を積んだのかが絵解きされているというわけです。
衣を脱いで木に掛け、次いで崖から身を投げる様子、そして虎に食われる場面が同じ一つの場面におさめられています。これは「異時同図法」と呼ばれるもので、後の『信貴山縁起絵巻』などの絵巻物の手法に繋がっていきます。
脱乾漆で作られています。
参考文献
『日本美術101鑑賞ガイドブック』
この記事は『日本美術101鑑賞ガイドブック』(神林恒道 新関伸也編)を参考にしています。
日本美術に興味を持って方は気軽に読んでみて下さい。