地租改正を分かりやすく解説〜いつ?目的は?結果は?

はじめに

今回は地租改正を分かりやすく解説していきます。

地租改正 分かりやすく解説

いつ?

1873年です。

ウィーンバンコク博覧会が開催されたのも1873年。画像は日本の展示

1873年、地租改正条例が公布されました。その内容は、①地価を課税の標準とする(それまでは収穫高が基準)②税率を地価の3%とし、原則豊凶によって増減しない③貨幣によって納入する(それまで魔はほとんどが現物納)④地租負担者は地券を交付された土地所有者とする、などです。

目的は?

明治政府が近代国家を目指し様々な改革を進める上で、多額の経費が必要となり、財務の安定化が急務だったためです。

以前のように農民に米で年貢を納めさせていると、地域ごとに税率もまちまちで、米価の変動で歳入が不安定、長期的な財政計画が立てられない状態でした。そこで、国家財政の基盤を固めるために、統一的な土地制度・租税制度の改革に取りかかったというわけです。

結果は?

地租改正事業は1880年頃まで数年間をかけて全国で実施され、政府は安定した財源を確保することができました

しかし、歳入を減らさない方針だったため、税率が高く、農民にとっては幕藩時代と変わらない重税だったので、各地で地租改正反対一揆が続発しました。1876年の真壁騒動、伊勢暴動などが有名です。

伊勢暴動の様子

これらの農民一揆と、四民平等により政府に不満を抱いていた不平士族の反乱が結合するのを恐れた大久保利通の意見で、1877年に地租率が2.5%に引き下げられました

この引き下げにより、農民の負担は江戸時代の年貢に比べて約20%の軽減となり、1870年代にから80年代の初めには米価が大幅に上昇したので、農民の地租負担はかなり軽減され、生活にゆとりも生まれました

しかし、土地を持たない小作人は地主への現物納に変わりはなかったので、米価上昇による利益はなく、地主の取り分を増やすばかりでした

参考文献

この記事は『1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365【歴史篇】』(小和田哲男監修)を参考にしています。

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政治・経済・文化・信仰・争いなど、様々な面から日本史にアプローチ、簡潔で分かりやすい解説が魅力的です。大人の日本史の学び直しにはもちろん、受験生の知識の整理の読みものにもピッタリです。