はじめに
今回は遣唐使の廃止について解説していきます。
遣唐使の廃止
いつ?誰?
894年、すでに遣唐大使に任命されていた菅原道真の進言を機に、遣唐使が停止されることになりました。
なぜ?理由は?
唐の衰退
630年に初めて遣唐使が海を渡ってから150年余りがたち、平安時代に入ってからの遣唐使の派遣は前期に2回あったのみで、長期留学者も次第に減ってきていました。
この頃になると、唐の衰退により外交上の意義が減っており、これが遣唐使廃止の背景にあります。
渤海使・新羅の商人との交流
唐の衰退に加え、渤海使との通交や、新羅の商人の来航などにより、唐との朝貢関係に依存しなくても大陸の文物が入手可能になってきていたことも遣唐使廃止の理由の一つです。
私貿易の活発化
安史の乱という9年にも渡る乱により、唐朝の中央集権体制は弱体化し、国力は衰えた状態でした。
その影響は新羅の海上活動の活発化となって表れます。百済やその後の新羅では政府の統制を離れて貴族や軍人が交易を始めました。いわゆる私貿易です。
9世紀後半の新羅では、唐・新羅・日本を結ぶ私貿易で巨富を得る貿易商も現れ、唐商人もこれに続いて私貿易の活動を活発化させました。
こうして、遣唐使の目的の一つだった大陸の文物が、朝貢関係に頼らなくても手に入るようになりました。学問を目的とする者についても同じで、平安時代の天台僧円珍など、唐商人ほ船を利用して入唐する者も出て来ました。
こうした状況の中、航海の危険を冒し、朝貢品に多大な経済的負担をかけてまで遣唐使を派遣する必要性が薄れ、菅原道真が停止を進言するに至ります。
参考文献
この記事は『1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365【歴史篇】』(小和田哲男監修)を参考にしています(↓本のアマゾンリンク)。
政治・経済・文化・信仰・争いなど、様々な面から日本史にアプローチ、簡潔で分かりやすい解説が魅力的です。大人の日本史の学び直しにはもちろん、受験生の知識の整理の読みものにもピッタリです。