第50代天皇、桓武天皇を解説〜やったことは?坂上田村麻呂、早良親王の祟り、遷都

はじめに

今回は第50代天皇、桓武天皇を解説していきます。

桓武天皇 解説

生没年、即位年は?

桓武天皇の即位年は737〜806年、在位年は781〜806年です

母は?

桓武天皇の母は百済の武寧王(ぶねいおう)の子孫と称する渡来系氏族・和氏(やまとうじ)出身の高野新笠(たかのにいがさ)です。

やったことは?

蝦夷討伐

桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じ、蝦夷征伐に向かわせました。

この征伐は801年に出陣して成果を収め、802年、804年にも出陣しましたが、軍事費が重くのしかかっているとされ、遠征は中止に。

ただ、坂上田村麻呂はその後、清水寺や富士山本宮浅間大社の創建に関与したりするなど官吏としても活躍しました。

長岡京遷都

桓武天皇は平城京から長岡京に遷都。しかし、その後、事件が起こります。

京都にある長岡京碑

早良親王の祟り

桓武天皇は最初、弟・早良親王を皇太子に立てていましたが、息子の安殿皇子(あてのみこ)が生まれると、桓武天皇の心は移り、我が子に譲位したくなります。

そこで桓武天皇は早良親王を長岡京造営使である藤原種継の暗殺事件の首謀者として淡路へ配流することを決定。早良親王は異議を唱えましたが護送される途中に息絶えました。

すると、桓武天皇の母である高野新笠や配偶者である藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)が病死、さらには忌まわしい事件が次々と起こります。

人々はこれを早良親王の祟ではないかと恐れました。桓武天皇はそんな空気感を打破するため、怨霊がはびこる長岡京から平安京へと遷都を行いました。

奈良市にある早良親王を祀る崇道天皇社

平安京遷都

平安京を再現した平安神宮

平安京は永遠に続く平和への祈りを込めるため、東西南北の神に守られた土地であり、中国の風水では最高の場所とされる四神相応にもとづいて建てられた都となっています。

平安京は唐の長安をモデルに造られた基盤の目状の町割りが特徴的で、現在まで続く京都の町の基礎となっています。

平安京の模型の一部

参考文献

この記事は『ビジュアル百科 写真と図解でわかる!天皇〈125代〉の歴史』(山本博文監修)を参考にしています。

歴史に詳しくなくても気軽に読める本です。天皇に興味ある方は是非。