戦国武将の松永久秀を解説〜信長も恐れる悪行、茶釜愛し、爆死

はじめに

今回は戦国武将、松永久秀を解説していきます。

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松永久秀 解説

久秀が大和支配の拠点として構えたのが多聞城です。眉間寺山(多聞山)の稜線にあり、東に奈良坂、南東に東大寺、南に興福寺を眺める要地に位置しました。

近世の天守建築の先駆けとされる四階櫓の建設、聖武天皇・皇后稜を破壊し城内に取り込むなど、色々な意味でエネルギッシュなお城でした。

信長によって破壊されてしまい、現在は石垣の一部が残るのみですが、かつては豪華なつくりだったそうで、宣教師のルイス・フロイスは「日本で最も立派な城である」と評価したそうです。

家紋

家紋は「蔦」。日本十代家紋の一つで、徳川吉宗も用いていました。

信長も恐れる悪行

久秀は数々の悪行で知られており、そのさまには信長も恐れを抱いていたとか。中でも有名なのは、「かつての主君だった三好長慶の死後に主家を滅ぼした」「将軍足利義輝を暗殺」「東大寺仏殿を焼く」の三悪事です。中でも「仏殿を焼く」というのは、どんな悪人でも躊躇してしまいそうな行為に思えます。

ただ、これら三つとも実際に久秀が行ったのかは疑問視されており、仏殿の焼き討ちについても、宣教師のルイス・フロイスは『日本史』で、久秀と対立していた三好方のキリシタンが放火したと述べています。

実際にこれらの悪行が久秀によって行われたのかは分からないものの、それだけの噂が立つほど影響力のあった人物だということは間違いないのではないでしょうか。

名品・平蜘蛛茶釜と爆死

久秀は茶人としても知られており、信長も所望した平蜘蛛茶釜や九十九髪茄子(つくもなす)の茶入を所持していました。

この平蜘蛛茶釜と久秀、そして信長に関するエピソードで有名なものがあります。

信長の入京に際し降伏した久秀。しかし、その後も信長に二度背き、一度は許されたものの、最後には信貴山城の戦いで敗れます。

その際、信長に平蜘蛛を差し出せば命は助けてやると言われますが、久秀は拒否。何と、茶釜に爆薬を仕込んで自爆してしまいました。

爆死の際に割ったと言われていますが、絵では久秀自ら割っているものもあります
果たして?

よほど茶釜が大事だったのか、それとも負けず嫌いが強すぎて死してなお信長にダメージを与えたかったのか…。強烈な個性で、我々を魅了して止まない戦国武将です。

参考文献

この記事は『戦国武将の解剖図鑑』(本郷和人監修)を参考にしています。

前提知識がなくても読めるよう分かりやすく書かれています。是非戦国武将のことを学んでみませんか?