プッサンの『サビニの女たちの略奪』を解説〜私のために争わないで

はじめに

今回はルーブル美術館所蔵、プッサン( ´,_ゝ`)の『サビニの女たちの略奪』について解説していきます。

ルーブル美術館にある自画像

参考文献

この記事は『名画で読み解く世界史』を参考にしています。

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『サビニの女たちの略奪』解説

ローマは一日にして成らず

ローマはトロイア戦争を生き延びたトロイアの将軍アイネイアスが地中海を放浪の末、イタリアでラテン人に迎えられたことに始まると言われています。

そのアイネイアス王家の子孫であるラテン人のロムルスとレムスの兄弟はパラティヌスの谷に行く新しい都を建て、そののちに兄弟は王位を巡って争いました。

ロムルスとレムス

そして、勝利した兄ロムルスにちなんで、前753年、新都はローマと名付けられます。

このロムルスには女性を補うため、サビニ人の女性を大量誘拐した伝説が伝えられています。この物語を題材にプッサンは名画を残しています。

私のために争わないで

ローマは建国当初女性不足だったため、ロムルスは祭りを口実にサビニ人たちを呼び寄せ、多くの若い娘たちだけを奪い取りました。

当然(?)これに怒ったサビニ人がローマに攻め入ったところ、戦いの最中略奪された女たちが割り込み和解を提案したため(私のために争うのは止めて!)、両者は争いを止め二つの国は合体しました。こうしてローマは周辺民族を取り込みながら拡大していきます。

ダヴィッドの描いた『サビニの女たちの仲裁』(1796年頃、ルーブル美術館所蔵)

この伝説を主題とした絵画には誘拐の場面と、その後の戦いにおいて女たちがローマ人とサビニ人の間に割って入り和解を促す場面の2通りがあり、プッサンは前者を二つの絵画で描いています。

もう一枚の『サビニの女たちの略奪』(プッサン、1634-35年、ルーブル美術館所蔵)

「かつ(ぎ)あげ」の風習

『サビニの女たちの略奪』(プッサン、1637-38年、ルーブル美術館所蔵)

画面左側ではロムルスの合図を受けてサビニ人の女性をさらうローマ人が描かれています。

帝政ローマ時代のギリシア人著述家ブルタルコスによれば、古代ローマでは結婚の際、新婦は新郎に担ぎ上げられて寝室に運ばれるという風習があるとされ、この風習は、サビニ人の女性の略奪に由来すると言われています。

フィレンツェのロッジア・ディ・ランツィにある彫刻、Wikipediaより引用