38代天皇、天智天皇を解説〜読み方、何をした人?

はじめに

今回は38代天皇、天智天皇を解説していきます。

天智天皇

読み方は?

天智天皇は「てんぢてんのう」と読みます。

どんな人?何をした人?

乙巳の変

第35代、皇極天皇の御世、専横の限りを尽くしていたのが蘇我蝦夷の子・蘇我入鹿。

これに危惧を抱いたのが皇極天皇の息子である中大兄皇子、後の天智天皇です。

彼は中臣鎌足と謀り、皇極天皇の前で入鹿を殺害、蘇我氏本宗家を滅亡に追い込みます。

中臣鎌足
殺害の場面

称制の開始

その後、中大兄皇子としては望めばいつでも即位できる立場でしたが、反感を買わないようにしたためか、即位の儀を行うことなく政務につきます。これを称制と言います。

白村江の戦い、天智天皇の誕生

新政権課せられた最大の課題は新羅に滅ぼされた百済の復興事業でした。しかし、白村江の戦い(はくそんこう、はくすきえ)で唐・新羅の連合軍に大敗。唐の脅威にさらされ、国防の強化に奔走することになります。そんな折、中大兄皇子は統一国家を作るために即位、天智天皇となります、飛鳥よりも内陸の近江に都を遷し、各地に山城を築いて侵攻に備えました。

中大兄皇子が築かせた城の一つ、岡山県の鬼ノ城

天智天皇と百人一首

天智天皇の詠んだ『秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ』という歌は百人一首のNo1に収録されています。興味のある方は是非↓の記事も読んでみて下さい。

参考文献

この記事は『ビジュアル百科 写真と図解でわかる!天皇〈125代〉の歴史』(山本博文監修)を参考にしています。

歴史に詳しくなくても気軽に読める本です。天皇に興味ある方は是非。