福沢諭吉を解説〜何した人?年表は?

はじめに

今回は福沢諭吉を解説していきます。

福沢諭吉 解説

何した人?

福沢諭吉が何をした人か端的にまとめると、「西洋近代主義を普及させた人」と言うことが出来ます。

パリやロンドンを訪問した際に近代資本主義文明に衝撃を受け、日本の近代化への啓蒙活動に邁進しました。

一万円札にもなった人物ですね

「天は人の上に人を造らず」されど…

福沢諭吉はアメリカ独立宣言を翻訳し、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉を『学問のすゝめ』に残しました。ここには、福沢が普及した西洋近代主義の根幹をなす、個人の自由・平等は天賦のものであるという民主主義思想が反映されています。

しかし、この言葉の後に福沢は「されど(しかし」とつなぎ、人間には学問のあるなしによって貴賤があるとも述べています。

年表は?

1835

豊前国中津藩、現在の大分県中津市で、下級藩士、福沢百助の五男として生まれる。

1859

横浜の外国人居留地を訪れ、英語の必要性を実感。独学で英語を勉強する。

サンフランシスコにて

1860

咸臨丸に乗って渡米。

咸臨丸のメンバー、福沢は一番右

1862

ヨーロッパを視察。パリやロンドンなどを訪問。

ユトレヒトにて

1863

下関戦争(長州藩が列強4国相手に行うも惨敗した戦争。当時は攘夷論といい、日本を神国として天皇を敬い、外国人を排撃・襲撃しようとする思想が普及していた。ただ、この攘夷運動も下関戦争後は下火に向かい、福沢は尊王攘夷を「虚誕の妄説」と呼んでいた)。

四国による下関砲撃

1867

再び渡米(帰国後、朝廷が王政復古を宣言し、福沢を招くが彼はこれを辞退)。

1868

開いていた蘭学塾を慶應義塾と改称。

諭吉と塾生達

1872

『学問のすゝめ』を発表。

参考文献

この記事は『人物で読み解く世界史 365人』(佐藤優監修)を参考にしています。

人にフォーカスを当てて世界史を勉強できる本。歴史にそこまで詳しくない人でも分かりやすく、集中力を持続して読める本です。

学問のすゝめ 現代語訳版