はじめに
今回は京都、西本願寺の見どころ、知っておくと寺参りが楽しくなる知識を紹介していきたいと思います。
西本願寺 見どころ
歴史
ルーツ
浄土真宗の開祖である親鸞が亡くなり京都東山の大谷に葬られると、その10年後の1272年、娘の覚信尼が遺骨を吉水に移して廟堂を建てます。これを大谷廟堂といい、親鸞の曾孫の覚如の時代から本願寺と称するようになります。
激動からの帰還へ
その後、室町時代から戦国時代にかけて本願寺はたびたび戦乱に巻き込まれ、京都の山科や大坂などに移転します。
しかし、1591年に豊臣秀吉から京都の堀川に土地の寄進を受けると、御影堂を移して阿弥陀堂を建て、厳正の寺院が成立。京都に帰還となります。
見どころ
壮大な阿弥陀堂
西本願寺の伽藍の中心は散乱聖人像を安置する御影堂と、その北側にある、翻身のあみだにょらいや聖徳太子の像を安置する阿弥陀堂です。
注目すべきはその大きさ。阿弥陀堂は東西南北40メートル異常に、高さ25メートルもあり、阿弥陀堂としては最大級の大きさを誇ります。是非その壮大さを体感してきてください。
唐門・飛雲閣
境内の南側にある唐門と、庭園の一角に位置する飛雲閣も注目ポイントの一つです。
唐門は黒漆塗りの門に唐獅子や麒麟などの彫刻を施した豪華な門で、京都の「国宝三大唐門」の一つとされています。
飛雲閣の方は豊臣秀吉が築いた伏見城の遺構とされる建築。
唐門・飛雲閣ともに桃山文化を象徴するエネルギッシュな建物。是非パワーをもらってきて下さい。
西本願寺と東本願寺
西本願寺の500メートル程東には東本願寺が建っています。彼らの関係性はいかなるものなのでしょうか?
実はこの東西本願寺は1602年までは一つでした。
1570年から11年間に渡る織田信長との石山合戦において、本願寺12世の教如と彼の父の顕如が和睦か徹底抗戦かで対立。方向性の違いから教如は徳川家康から寄進された烏丸通り七条の地に東本願寺を別立しました。
つまり、西本願寺と東本願寺は親子のイデオロギー対立から別立したものなんですね。距離的にも近いので、是非両方行ってみてそんなエピソードにも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
参考文献
この記事は『日本の古寺101選』(廣澤隆之監修)を参考にしています。
お寺に興味のある方はもちろんですが、旅行が好きな方も事前に読んでおくと、旅がぐっと豊かなものになりますよ。