エゴン・シーレの『死と乙女』を解説~世間体って大事ですよね

はじめに

今回はオーストリア絵画館所蔵、エゴン・シーレの『死と乙女』を解説していきます。

オーストリア絵画館、Wikipediaより引用

エゴン・シーレとは?

エゴン・シーレ(1890~1918)はオーストリアの画家です。非常に高度な素描力を持っており、なんと16歳でウィーンの美術アカデミーに入学してます。

シーレが入学した翌年、ヒトラーが同じ試験を受け落ちているとのは有名なエピソードです。この失敗が原因でヒトラーは画家になるのを諦めミュンヘンに移り住むことになりました…

『死と乙女』解説

「死と乙女」のモチーフ

死と乙女のモチーフは美術史の中に繰り返し現れてきたモチーフです。とりわけ、その死の非情さを強調するためか乙女と死神を並べる構図が多く用いられています。ルネッサンス辺りからは乙女の肉体を荒々しく蹂躙するとい死神というエロティックなものへと変化していきます

『死と乙女』(ハンス・バルドゥング、1517年、バーゼル市立美術館)
『死と乙女』(ハンス・バルドゥング、1517年、バーゼル市立美術館)

モデルは?

「死」の方はシーレの自画像、「乙女」の方はシーレの愛人ヴァリです。ヴァリはもともとクリムトのもとでモデルをしていましたが、シーレの実力をみとめヴァリをプレゼントします。

とりつかれたようにエロい絵をひたすら描き続けるシーレをヴァリは日常的な世話を含めて献身的に支えます。シーレが逮捕された時でさえ塀の外から果物を投げるなどして彼をはげまし続けました(なんと健気な…)。

しかし、名前が売れるにつれてシーレに新たな目標ができます。

シーレとヴァリ

シーレの新たな目標とは、中産階級の女性と結婚し、堅実で幸せな家庭を作るというもの。その画風からサイコパスなどと言われるシーレですが周囲の目はやはり気になっていたのでしょうか。

手紙を一方的に贈り続けるなどの積極的すぎるアプローチが身を結び、無事エーディットという鉄道管理の娘を手に入れたシーレ。当然としては当然なのですがエーディットからはヴァリと分かれるように言われます

シーレとエーディット、Wikipediaより引用

ヴァリと分かれる決心をしたシーレ、一年に一回は会おうと告げる手紙をヴァリに渡すのですが、ヴァリは「ありがとう。でもできないわ」と言い残して去ってしまいます

『ヴァリ』(シーレ、1912年、レオポルド美術館)

『死と乙女』解説

荒涼たる風景の中、シーツの上で二人の男女が抱き合っています。女性の方の左手が細々とし過ぎてて哀愁を誘います。心なしか男の大きく見開かれた目も涙をこらえているように見えないでしょうか。

描かれているのはシーレとヴァリ。ヴァリの方がシーレに身を預けているのに対し、シーレの方は左手で彼女の頭をなでながらも右手では距離をとるような動作をしています。別れの時が近づいていると感じられます。

『死と乙女』(シーレ、1915年、オーストリア絵画館)
抱き着いているように見えて男は実は離れたがっている…。思い当たる節が多いだけに皮肉っぽい一枚ともなっています。

別れを告げたのは最終的にはヴァリの方だったのですが、シーレも彼女が自分を愛しているのだということ、自分が彼女に「死」をもたらしたのだということは分かっていたのでしょう

この絵を描いてからシーレとエーディットは穏やかな結婚生活に入ります。その一方、ヴァリは従軍看護婦に志願して第一次世界大戦の戦場へ。彼女は二年後、23歳の若さでダルチア戦線で猩紅熱(しょうこうねつ)にかかって命を落としました

参考文献

この記事は『怖い絵3』(中野京子)を参考にしています。

興味を持った方は是非。

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