シェーンブルン宮殿~様式、日本式庭園、鏡の間

はじめに

今回はシェーブルン宮殿を紹介していきたいと思います。

シェーンブルン宮殿

英語名

シェーンブルン宮殿は英語名でSchönbrunn Palaceとなります。

様式

バロック様式の館

1619年、神聖ローマ皇帝レオポルト一世の命によって、ハプスブルク家の猟場であった土地に宮殿が着工されました。

レオポルト一世

設計者はフィッシャー・フォン・エルラッハ。親子でウィーンのカールス教会を設計したことでも知られています。

カールス教会

彼はフランスに対抗するため、ヴェルサイユ宮殿に比肩する壮大な建設計画を立案しましたが、苦しい財政状況が原因で計画は縮小され、1713年にバロック様式の館として完成しました

「テレジア・イエロー」・ロココ内装

当初はピンクだった外壁を、ハプスブルク家唯一の女性君主であったマリア・テレジアが現在の黄色に塗り替えました。当初は金色にする予定だったそうですが、やはり財政的な配慮から黄色に変更されたそうです。

マリア・テレジアは宮殿を居城に定め、内装をロココ様式に統一するなどの増改築を行いました。部屋数はなんと1441に及び、ヨーロッパ最大の帝国として君臨したハプスブルク王朝の栄華を今にも伝えています。

ウィーン会議も開かれた大広間。天井にはマリア・テレジアの栄誉を讃えた、繁栄と平和を表現した絵が飾られています。
マリア・テレジア

鏡の間・モーツァルト

「鏡の間」には、当時6歳だったモーツァルトがマリア・テレジアの前で演奏し、早熟な天才ぶりで聴衆を驚かせたという逸話が残っています。

日本庭園

1913年に皇位継承者フランツ・フィルディナント大公が当時流行ったジャポニズムの影響で造られたと言われる庭園。

浮世絵がパリやウィーンの絵画に影響を与えたことには多く言及されますが、庭園は珍しいですよね。

フランツ・フィルディナント大公、かのサラエボ事件の被害者です

参考文献

この記事は以下の文献を参考にしています。

『最新 王妃マリーアントワネット 美の肖像』

マリー・アントワネットの生涯・生活を解説。写真も多く、当時の光景に思いを馳せながら楽しく読めます。

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『世界で一番美しい宮殿』

タイトルの通り世界の美しい宮殿の写真集。ヨーロッパのみならずインドやタイといったアジアの宮殿も。国によるスタイルの違いみたいなのも見えてきて面白い。

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『世界の美しいお城と宮殿』

こちらも美しい写真集。『世界で一番美しい宮殿』が内部から撮った写真が多いのに対し、こちらは風景と一体化させた全体像を捉えた写真が多い。山の中にそびえたつ城など、ロマンを感じずにはいられない。

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